イルムスベーカリー物語
第2回
どういう風にこの物語を進めていこうかと迷った結果、話したいテーマを決めて進めていくことにしました。

誰かの下で学ぶことに憧れつづけた3年間

オープンして数年経って、フランスの技術提携先のパン屋さんの社長が、初めフランスに研修に来た私を見て、果たしてイルムスベーカリーは大丈夫なのだろうか?無事オープンできるのだろうか?と心配になったと言いました。それもそうだと思います。イルムスベーカリー立ち上げの時の私は、食パンの生地もろくに丸めれず、生地の分割スピードもものすごく遅い、ましてやバゲットの成型は出来ないし、焼くときのクープもきちんと入れれない。
そういう状態だったのです。3月上旬のオープンが決まっていたにも関わらず、2月にフランスから帰国した段階で、ベーカリースタッフは私1人しか決まっていなかったのです。 シーバースフランスの小柴アドバイザーに教えてもらえるのは、フランスでの約1ヶ月とオープン前後の日本での1ヶ月ちょっとだったのです。フランスでは、ホテル暮らしをして毎日シーバースに通い、製造に加わりました。シーバースは、バゲット、パンドミー、カンパーニュ、などのパンをホテルやレストランへ向けて作っています。初めて触る本場のバゲット生地は、手にまとわりつく軟らかさでうまく成型できず、目のまわる現場のスピードに私の手は全然ついていきませんでした。毎日、全てのことを体で感じ、ノートに書き残しました。オープン前後アドバイザーがフランスから来日され、材料や水、環境の違いによるルセットや作り方の微調整をテストベーキングを兼ねて一緒に進めました。日本での1ヶ月ちょっと、ものすごくいろんな事で怒られました。決して頭の上がらないこわい存在で、技術的なことから、私の性格まで、こうあるべきだとずばずばと指摘をされました。まず返事しろ!返事は!と何度も言われました。休みもとらず、夜中まで仕事をして、怒られまくったこの期間、今思えるのは、とても充実していて、きらきら光るような時間だったと言うことです。 普段なかなか自分に対して、率直な意見を言ってくれる人はいないものです。オープン後、半年くらいして、会社とシーバースとの技術提携の期間が終了したことが知らされた時は、ものすごく寂しくて、悲しくて、これからどうしようと落ち込んだのを覚えています。
オープンして1年、はじめに教えられた通りのやり方で、目の前のことだけをこなすことで精一杯でした。バゲットを成型して、クープを入れ、カマ入れした後いつもカマの中をのぞいていました。毎日焼き上がる度に、ドキドキしていました。バゲットは、うまく成型できず、きつく締めて成型した方が良いのか、ほとんど力を入れず成型した方がいいのか、クープ入れの刃の入れる角度はどのくらいがいいのか全てのことが分からなくて、試行錯誤の毎日でした。きっと、今のトレボンのバゲットとは比べものにならないくらい出来の悪いバゲットだったと思います。バゲットだけでなく、他のパンの作り方も、本質が分かっていなかったので、うまくいかなかった時、どう対処すればいいのかわかりませんでした。イルムスオープン時のパンの品質は、今の私が見ると、全然ダメ!ときっと言い切ると思います。
いろんな事を悩んで試行錯誤しながらパンを作り、もう一度フランスへ行こう、もう一度本場のバゲットの生地に触れてみたいと思い、1年後再度渡仏し、シーバースで働いて、バゲットをはじめとする他のパンに触れました。何も分からなかった1年前、そしていろんな事を悩んでパンを作ってから訪れた1年後、再度いろんな感覚を取り戻し、多くのヒントも得る事が出来ました。今でも覚えているのですが、バゲットのクープが入れれるようになったのは、この時からでした。それまで1年間、納得のいく入れ方が出来ませんでした。
パンを作りながらいつも思っていました。誰かの下で働いて、分からないことがあったら、こうすべきだ、ああすべきだと言って欲しいし、その人の技術を見ながら学べたらいいのに・・・と。そうしたら、技術の進歩も早いし、いろんなアイデアも学べる。そう考え、憧れていました。でも、結局私は、3年間自分で悩んで試行錯誤しながらパンを作り、年に1,2度フランスへ渡り、パン屋さんで働いて、パン作りの技術や製法を学び、パンを食べ歩いてイルムスのパンのアイテムを作り上げました。
今は、簡単に学べないことが良かったのだと思っています。すごく悩んで、答えを発見した方が、本質から理解できるし、身につくと思います。いつも短期間でしたが、フランスの7軒のパン屋さんやお菓子屋さんで学びました。新しい所で働く度に、仲間との出会いがありました。言葉がうまく通じなくても、心が通じる喜びを感じ、パンを作る仕事をやっていてよかったなあと心から感じることが出来たのもこの時でした。


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